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アマツツミ 感動できなかった人へ

7月にパープルソフトウェアから発売されたアマツツミの全ルートが(いまさら)終了したので感想を書いていきます。あくまで主観的な個人の感想ですので、その辺はご了承ください。

 

以下、ネタバレ有

 

 

 発売日に買ったものの、やり始めたのが今月の19日であり、ずいぶん長く放置してしまいましたが、評判を聞く限りでは良かったという意見がかなり多かったので期待度は放置した分高めでした。しかし、やり終わった今では、確かに面白かったとは思いますが、期待していたほどではなかったかなという印象です(期待度が高すぎただけ?)。少なくとも、泣くほどの感動は味わえませんでした。ほたるルートの後半では全力で泣かせにこようとしているなと感じられる場面が演出も含めて多々ありましたが、逆にそう感じられるほど冷ややかな視点でシナリオを読み進めていってしまったといえるかもしれません。そういう意味では、シナリオ云々よりも、自分が無感動な人間になってしまったのかなというちょっと残念な気持ちになりました。正直、この作品をやって感動できなかったというのが自分にとっては割りとショックだったので、以下、その原因を探って行きたいと思います。

 

1.(自分にとって)そびえ立つ杏奈の壁

 はじめに言っておきますが、私はパープルをブランド単位で好きです。そのため、過去作もそこそこやっており、新作をやるとどうしても過去作と比べてしまう傾向があります。そうすると、克氏が担当する新作のキャラをみると、どうしても克氏が最初に担当した作品である『未来ノスタルジア』の杏奈が頭にちらつきます。『未来ノスタルジア』も『アマツツミ』同様に、圧倒的に立場の高いメインヒロインのルートが最後に設定されている作品です。つまり、メインヒロインとそのルートが作品の明暗を分けるといっても過言ではないほどであるにもかかわらず、杏奈の方が良かったという印象をもってしまうとどうしても感動しきれないのではないかと感じました。要するに、ほたるのメインヒロイン力が弱いのではということです。ほたるは、1から3話までの要所で登場し誠に助言を与え、感情を芽生えさせる助けとなり、また一週間ごとに死を経験するという辛い境遇の下にあったため、誠にとって大きな存在であると同時に失いたくない存在であったのは間違いありません。しかし、幼少期に陽一(未来ノスタルジアの主人公)に引き取られ、チカラの使い方と家族の温かさ、命の大切さを青年と呼べる年齢になるまでじっくりと教わり、死別の際に陽一の記憶を託されて未来からやってきた杏奈に比べれば弱いなと感じます。単に私にとって『未来ノスタルジア』と杏奈が強烈に印象に残っているだけですが、このようなメインヒロインのルートありきの構成のゲームであると、相対的なメインヒロイン力の弱さによっていまいち感動しきれないということもあるかもしれません。

 

2.命のやり取りを扱った感動系に慣れた

 身近な人が死ねば、その人のことをよほど憎んでない限り誰しも悲しい気持ちになるでしょう。それはつまり、命は大切なものであり、失ったら悲しいもの、だから守れるのであれば守りたいものであるということを意味しているのかもしれません。そういう意味では大切な人の命を守るというのは最も尊い行為であり、そのために自己犠牲を払うのであれば、そこに命の消失という悲しい要素が上乗せされ見る人の感動を誘うことになるでしょう。しかし、様々な表現方法はあれど、この形式をとる物語は決して珍しいものではありません。それほど人類にとって普遍的なテーマであるということもできますが、フィクションに用いるには使われすぎているネタであるとも感じます。この作品のほたるエンド1では、誠はコピーであったほたるを本物として生かすためにオリジナルのほたるとともに死ぬことを選択します。これはまさしく大切な人(ほたる)を守るために自己犠牲を払うという構図に当てはまります。やはり、自分がこのような展開に慣れてしまったことも感動を薄める要因になったのではないのでしょうか。

 

思いつく大きな要素はこの二つです。つまり、『未来ノスタルジア』をやらず、命のやり取りを描いた物語に慣れていなければ『アマツツミ』をやって涙を流すこともあったのかもしれません。こんなことを考えてしまうのであれば、そろそろこのようなゲームから足を洗うときが来たのかもしれないということでしょうかね。

開設

以前使いっていたブログを事情により消してしまったので、新たにブログを開設します。内容は幅広くはないですが統一感もなく書いていくと思います。